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広島にはめっぽう強いのになぜヤクルトに(1981年)

1981年(昭和56年)監督 中西 太 シーズン順位 3位


この年の出来事・流行語・流行歌
●「ポートピア’81」開幕●向田邦子、飛行機爆発事故で他界●福井謙一、ノーベル化学賞受賞●ノーパン喫茶●窓ぎわのトっトちゃん●ハチの一刺し●なめんなよ●ルビーの指環●ギンギラギンにさりげなく



前年途中から不振のブレイザー監督のあとを受けて就任した中西 太監督が指揮。5年ぶりにAクラス入り、藤田平選手が首位打者を獲得したこの年の阪神は、2位の広島には15勝9敗2分と勝ち越し、4位のヤクルトには10勝15敗1分と負け越しました。月刊タイガース10月号では、いつの時代にもある「相性」という事象に関する特集を組んでいます。



月刊タイガース 1981年 10月号より

広島にはめっぽう強いのになぜヤクルトに



ニガ手を克服しカモをさらにカモにする方法

 81年のザ・プロ野球″セ・リーグの巻は、巨人の独走に終わった。わが猛虎軍団は、またしても敗戦の涙をのんだのだ。敗因はいろいろある。故障者が相次いだこともあった。が、前年のチャンピオン、赤ヘル軍団には、めっぽう強かったものの、ことしもまたヤクルトに痛い目にあって負け越してしまったこともある。巨人戦では江川の前に歯が立たず、勝機をつかむことが出来なかったことも。

 カモと二ガ手−。相性が悪かったというだけではすまされない。
あすへの前進のためにも、二ガ手を克服、∨奪回のために、猛虎軍団の意識革命をしなければならないのだ。そこでカモと二ガ手の相関関係から分析してみよう。
(記録は1981年9月1日現在)


流れ変えた振り逃げ=@押え役不在の不安をつく 対広島

 まずカモとニガ手の対戦カードが一番はっきりしているのは、阪神と広島、ヤクルトである。阪神は広島には、12連勝を含む13勝4敗2分け。赤ヘルの本拠地で7勝2敗2分け。

 「負ける気がしなかった」(掛布)「むこうがコチコチに意識してるんだからね」(岡田)対広島戦で掛布は・379、岡田も・329と当たっているから自信があったのだろう。
広島サイドで見れば−「最初はウチのほうが阪神をカモっとったんだよ。それが藤田の振り逃げでサヨナラ負けしてからおかしくなったんだ」(東山スコアラー)

 6月23日の対広島10回戦(甲子園)で10−9の試合がツキをかえたという。しかしそれまでも阪神は4勝3敗1分けでリードはしていた。ところが、古葉監督自身も「大野が二度(一度は藤田の振り逃げ)暴投して負けてからおかしくなった」と悔やむ。一つのミスで試合の流れが変わるように、相手の相性まで変わってくる。
「決して打ち負けてはいないのだが、ウチはとどめの一打が出ない」(山本浩)。なるほど、点差を見ても阪神は1点差で4、2点差で2、計6ゲームを勝っている。この僅差ゲームが広島の投手にプレッシャーをかける。
「ピッチャーが打たれないか、と不安感をもって投げるようになった」と告白するのは竜コーチ。
絶大の信頼を寄せる押え役のいないのが投手陣に不安をつのらせたのも事実だろう。

一昨年、一人で6勝あげたタイガースキラーの池谷が昨年は2勝2敗、そしてことしは1勝6敗と打たれているのもショックに違いない。
「池谷はポカが多すぎた。ウチが阪神に弱い理由の一つに、江夏が抜けて左の投手が大野と新人の山本和の二人しかいないし、それにまだ荷が重すぎる。だから阪神の左打者を押えきれない」(東山スコアラー)
こういうニガ手意識が広島ナインの心に宿っていた。


皮肉!!ヤクルトに強い広島

しかし、この広島が阪神のニガ手とするヤクルトに強いのだから皮肉だ。昨年も広島はヤクルトをカモにして15勝7敗4分け。ヤクルトと中日(20勝4敗2分け)の星でV2を達成したようなもの。

ヤクルトの岩崎スコアラーは、首をかしげて不思議がる。先乗りスコアラーで、広島の各選手のデーターを集め提出するのに、どういうわけか、広島戦になると意識する。
「阪神や中日、巨人とやるつもりでいけばいいのに…。それが出来ないんだからね。リードしていても追いつかれるんじゃあないか。それで浮き足だってくる。つまらないミスをする。そこを広島はカサにかかってくるんだ」

とくに山根、福士に勝てない。昨年も福士に7敗、山根に4敗、北別府に2敗…。
「福士にはゆさぶりにやられてしまう。ウチの投手は水谷にいい場面で打たれている。広島は大杉、マニエルの弱いラインを狙ってくるのがうまい」(岩崎スコアラー)


対ヤクルト 1点差試合は逆に1勝4敗

 そのヤクルトが阪神と対戦すると、どういうわけか、大変な自信をもってくる。ヒット数をくらべてみると、阪神の175本に対してヤクルトは162本。生還率を見ると阪神は・250。ヤクルトは・368と上回る。効率のよい攻め方をしている証拠になろう。なにしろ送りバント(犠打)をみると阪神は16、ヤクルトは22。きっちり点をとっていく武上戦法も出ている。残塁数をみてもわかる。阪神は152。ヤクルト122。

 1点差勝負の試合で阪神は1勝4敗。6月17日から8月25日までの対戦カードで8連敗が痛かった。昨年は梶間に対して1勝7敗と再三、苦しめられた。ことしは昨年ほどではないが1勝2敗1S。まだニガ手意識がわずかに残っているといえよう。
「打てると思って打席に入るんだが、プレートで小さく変化するタマにやられる。スピードがないので引っ張ろうと思っているとシュート回転のタマが入ってくる。あのフォームにまどわされる」というのは岡田。昨年の岡田は梶間には・375と自信をもっていたのにことしは・214。


大杉にやられた

 三割バッター掛布のヤクルト戦の打率は・167。「別にニガ手意識はないのだが、左で見にくい。ボールが背中からくるので…。外角コースにポンポンとストライクをとりにくる。ムリして手をだせばヒットも打てるだろうが、四番という立場を考えると長打を狙いたい。だからインサイドのタマを待っているうちに追い込まれるケースがある」

 左対左−。掛布と違って藤田の場合は打順も違うし、長打を狙わないでミート打法だ。だから梶間に対してのアベレージも・400。梶間攻略の手だては「振りまわさず、ミート打法で…」ということになるが、ことしは松岡(2勝4敗)、井原(0勝3敗)の速球派の前にしてやられたケースが多い。

 反対に阪神は小林がヤクルト打線に痛めつけられた。1勝3敗2Sだが、防御率が5・25。杉浦に・294、大杉に・533、水谷に・375と打たれている。
なかでも藤田と首位打者争いを演じる大杉は、山本和に・389、江本に・462、伊藤に・500、中田にも・500と打ちまくっている。
武上監督はいう。「ウチと阪神の選手を一人一人くらべてください。阪神のほうがどれだけ駒が揃っているか。だが、うちも、えらそうなことはいえない。広島には手もなくヒネられるのだから…」



・・・阪神タイガースの本拠地、また高校球児のメッカである阪神甲子園球場。
そのシンボルともなっている球場外壁の「蔦」。その球場の歴史とともにその蔦などの管理はもちろんのこと、グラウンドキーピングや外野の天然芝の管理を一手に担ってきた会社があります。この号では「阪神電鉄グループ紹介」というコーナーでその阪神園芸株式会社の仕事ぶりを紹介しています。



蔦は甲子園球場のベストドレス


土に芝生にスタッフの愛情 阪神園芸K.K.


 阪神タイガースの合宿所虎風荘≠ゥら道路一つをへだてたところ、つまり、球場の左翼外野席のすぐ下に、いまから十三年前、一つの会社が誕生した。阪神園芸株式会社=奈良貞男社長=である。

 主な事業は大別して三種。まずその名の通り造園と建設、二つ目が植木のリースに園芸材料の販売、そして三つ目が駐車場とゴルフ練習場の経営である。いってみれば何の変哲もない造園、建設企業でありながら、実は阪神タイガースも甲子園球場も、いや、タイガースのファンにとっても、深いつながりをもつ会社なのである。
甲子園球場の風物詩といえば、即蔦である≠ニいえよう。

蔦(=ぶどう科の多年生の−つる草、つるが物にからむ草)

 大正13年、甲子園球場が産ぶ声をあげたとき、外塀はぐるり一面、蔦が植えつけられた。その後、戦災にあい、外野は植えかえられたものの、内野の外塀にめぐらされた蔦は、すでに半世紀を過ぎ、やがては還暦を迎えようとする樹齢である。この蔦の管理が阪神園芸である。周辺の蔦の数はざっと400本、球場の誕生とともに育ってきた蔦の株は、おそらく直径1b近くになろうという。「年々何百万円かをかけて、手入れをつづけています。この蔦はいまや、甲子園球場のベストドレスであると私は信じているのです」=小林博史常務。

阪神園芸と球場のつながりは、これだけではない。むしろこのあとが本題になる。球場のダイヤモンドと芝生。そのすべてが阪神園芸の運動施設課の管理にある。グラウンドキーパー歴40年を超える藤本治一郎課長を頂点とするスタッフは、日本のトップを行く卓越した技術の持主ぞろいだ。甲子園球場のダイヤモンドは鳥取、岡山、鹿児島方面の黒土と海辺の白砂をまぜあわせ、独特の土が出来上がる。
春は砂が6に土が4、そして夏を迎えると土が6に砂が4。その配合は、スタッフの長年の経験にょって絶妙の土を作り上げる。


春秋の植木まつりも名物行事

 また甲子園球場の排水は日本一と称される秘密は一体どこにあるのだろうか。グラウンドを30aばかり掘り下げるとクリ石を敷きつめた層が約60a。その下は河川敷になっている。「どんな豪雨でも、止みさえすれば、二時間でゲームの進行は可能な状態になります」ということだ。

 毎年、オフになるとダイヤモンドはクリ石が見える層まで掘りおこす、底辺にもたっぶり風を通すことが約一週間。黒土と砂を配合し、徐々にかためてゆく。マウンドは正規の38・1a、むろん平らなところも…この間、機械類はいっさい使わない。すべてがスタッフの長年のカンによって作業は進められる。出来上がったところで測量機具を持ち出し測量すると、誤差はどんなときでも、プラスマイナスが1ミリ以内であるという。まさに神ワザ。スタッフの卓越した技術は、とても他の球場の追随を許さない。

 さて、ある意味ではダイヤモンドよりも、外野にスタッフの面々は神経をとがらせるという。なぜか、外野の芝生は生き物だからである。芝生が呼吸をするために酸素もいる。発育に応じた栄養も与えてやらなければならない。スタンドからは、とても判別出来ないが、一面の芝生には5センチの間隔でアナがあけられている、芝生が窒息しないための配慮だ。あるとき、スタッフのところへこんな問い合わせがあった。
「テレビで見る甲子園の芝生の色はあまりにも鮮やかです。いつから人工芝にかわったのですか」
夜を日についで苦労の絶えないスタッフにとって、何よりの言葉であろう。
浜田球場―阪神ナインの鍛練の場として、広く知られるこの球場も藤本課長以下スタッフが作り上げた傑作である。このほか、阪神間の一般球場も数多く手がけた。その優秀な技術は各方面にも知れ渡り、いまやスタッフはひっぱりダコである。
このほか、グラウンド周辺を見渡しただけでも、阪神園芸と一般ファンのつながりは、まことに深いものがある。ざっと五百台を収容する駐車場。あるいは、春、秋の二回に行われる「甲子園植木まつり」は、いまや阪神間の名物行事である。
また、上甲子園にある「阪神上甲子園ゴルフセンター」は一、二階あわせて打席が50。5千平方bに及ぶ芝生は、とても都市のゴルフ練習場では味わえない快適な練習場である。









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